本を読むとすぐに感化される人の読書記録

読んだ本の記録がなんとなく誰かの目に触れてほしい気がする。

コーヒーと恋愛

こんばんは、まりあです。

最近寒くなってきて、前回の「風呂ソムリエ」効果もあり、この前お風呂の掃除をしてお風呂に入りました。

シャワーだけで終わらせるのではなく、お風呂に入るのもやはりいいですね〜!

しかし今日は家に帰れない仕事中なのです。悲しい。

 

さて、今回は

獅子文六 著 「コーヒーと恋愛」です。

私はいろんな本屋さんで平積みで売られている本を物色するのが好きなのですが、ひさびさに行った本屋さんで、

ほかの本屋さんではあまり見かけない本を見かけて、さらにこんな帯に目を止めました。

「昭和の隠れた名作、ご存知ですか?」

「50年前の作品がこんなに楽しく読めるなんて新鮮な驚き」

「長らく古書店で高値で取り引きされていた名作が待望の文庫化」

「ドラマ化したら絶対に面白い」

 

えっ!こんな風に紹介してされてる小説、ほかの本屋さんで見たことなかったけど。。。?

ということで興味を持ちました。

私が回ってる本屋さんなんて3箇所か4箇所程度なので珍しい本ではないのかもしれませんが。。。そんな感じで出会いました。

 

それではあらすじを簡単に。

主人公はお茶の間の人気女優、44歳の坂井モエ子。美人ではないが暖かく人に嫌われない雰囲気で、名脇役である。何故だかコーヒーを入れるのがめちゃくちゃ上手いため、コーヒー愛好家の仲間の集まる「可否会」でも一目置かれる存在であった。

彼女の夫は8歳年下の舞台作家のベンちゃん。モエ子の入れたうまいコーヒーをきっかけに同棲を始めただけの、内縁の夫。

舞台での稼ぎはモエ子の何分の1だったが、演劇の情熱を注ぐその姿にモエ子は惚れ込み、女優の仕事で大いに稼ぎ、彼の身の回りの世話をしてきた。

そんな彼が演劇に情熱を注ぎすぎたあまり、置き手紙1つ残して将来有望な若い女優の元へ去ってしまう。「生活革命」と称しており、ただの浮気ではなく、本当に有望な女優を育てるつもりであり、さらにモエ子の収入をアテにしている現状を打破する目的もあった。

一方的に別れを告げられたモエ子は、悲嘆にくれ、

大きなチャンスであるドラマの主役の仕事やインスタントコーヒーのCMキャラクターの仕事もうまくいかず、

踏んだり蹴ったり。。。。

そうしているうちにコーヒー愛好家の仲間から縁談を持ちかけられて。。。

 

 

というお話です。

読んだ感じとしては、これは恋愛小説か。。。?という感じです。

8歳年下の男とはもう8年も一緒にいる状態で、それだけでも恋愛小説によくある「ドキドキ」とか「甘酸っぱい感情」とかが足りない。

さらにベンちゃんは演劇のことしか考えてないし、モエ子はそれ援助し世話する様子がどちらかというと妻というより母親。

ベンちゃんがモエ子を捨てて出て行ったのも見かけは「浮気」というのだろうけど、若い女優への恋愛感情についてはほぼ触れておらず、

モエ子も多少の嫉妬心は見せても「こんなに愛していたのに!」みたいな熱は全く伝わってこなくて、

ただ自分が若い女に同棲していた男をとられたことへの世間体の悪さと将来への不安に落ち込んでいる感じでした。

だから、恋愛小説が好きで、キュンキュンするお話を読みたい、という人には全くおススメできない作品でした。

 

というか、この主人公に「普通の恋愛小説のような恋愛」が向いてなかったのかもと思います。

よく少女漫画である運命的な出会い!とか一目惚れ!とかはやはり少女のものであって、44歳の女性に、昭和の男性作家がそれを求めるとは思えないし、

彼女自身、何歳の設定であったとしてもそういう「恋愛体質」とは真逆のタイプであり、演劇や女優の仕事の方が大事で、

せいぜいコーヒーを巡って寄ってくる男達に翻弄される日々が「彼女の恋愛」の全てなのかもしれません。

「女の幸せが結婚であり、それが大恋愛の末の結果である!」という恋愛小説のありがちなパターンとはかけ離れており、恋愛と一言で言ってもそれは人それぞれ、いろいろな形があり、

惚れたはれたを前面に出すような恋愛をしない人々もいるんだ!と思わされました。

 

でもやっぱりこの小説はジャンルとしては恋愛小説、ではないかなぁと思います笑

ヒューマンドラマ、くらいの方が良い気がします。

タイトルに「恋愛」と入ってるから恋愛小説のような気がするけど、この作者はそこまでこの小説に恋愛に重きを置いていない気がします。

そんな感想を持ちつつ読み終えて衝撃の事実!

このお話は読売新聞に連載されていた当時のタイトルが「可否道」で

1969年3月に角川文庫で刊行されるにあたってタイトルが変わったようです。

やっぱり恋愛はこの小説の本来のテーマとは違ったのでは?

コーヒーのみがテーマだったのでは。

獅子文六が亡くなったのは1969年12月。どうしてこのタイトルになったのでしょうか。。、?

獅子文六にきちんと承諾を得たのかなぁ。。、不思議です。

 

これは本編のあとにのっていた作者の連載のあとがきのネタバレになってしまうのですが、

「この小説を書き始めて3分の1もいかないうちに体調を壊した」と語っています。コーヒーについて書くために取材が増え、以前から大好きで毎日飲んでいたコーヒーを飲む機会がさらに増えたと。それでコーヒーに入れる砂糖が胃に良くなかった、とか、胃潰瘍の既往もある、とか、食事療法もやったけどよくならず、体調がよくならないために不眠症になって飲み始めた睡眠薬もまた胃によくなくて、タバコも吸ってるし、

とうだうだと書いてました。

いや絶対コーヒーの飲みすぎじゃん。

体調悪くしてからも絶対にコーヒー飲んでたでしょ、この言い分だと最初はコーヒーの飲みすぎであることをほのめかしつつ、後付で他にも思い当たる節があるような書き方してるけどコーヒーの飲みすぎじゃん。

このあとがきの最後にはコーヒーについての小説はもうコリた!とかいていますが、コーヒー自体にコリた、という書き方はしていません。

コーヒーがよほど好きなんでしょうね。

それだけに死亡する9ヶ月前に解題されたのが謎です。。。

 

ここまでタイトルとジャンルの違和感のみに触れてきてしまいましたが、

小説としてはとても面白い作品だと思いました。昭和に書かれたものなので文体とか表現は少し古めかしいものの、

それがこの小説の時代背景を想い浮かばせる手助けとなっています。

登場人物も、ベンちゃんやその浮気相手の若い女優がいけすかないけれど、

個性的でいい味がでています。

帯に書いている通り、ドラマ化したら面白そうだなぁ〜!と思います。

ドラマ化ってお話自体も面白くないといけないけど、登場人物の設定もしっかりと個性があると俳優、女優も演じやすくて面白い作品になるポイントなんじゃないかなと素人考えで思ってみたり。

 

 

さてさて、私も美味しいコーヒーを飲みたくなったところですが。

明日の17時までこの建物に缶詰です。

お風呂もコーヒーもおあずけ。

悲しい〜。

とりあえず寝よう。おやすみなさい🌙