本を読むとすぐに感化される人の読書記録

読んだ本の記録がなんとなく誰かの目に触れてほしい気がする。

SOSの猿

こんばんは〜まりあです!

まりあの伊坂祭り、6月28日に始まり。。。7月28日に終わりました!

ヒュー!

 

ラストの10作品目は「SOSの猿」です。なんとなく直感で選びました。

●あらすじ●

かつて憧れだった女性の息子が引きこもりだ、と相談を受けた男、二郎。

イタリアで絵の修行をするはずが悪魔祓いという特殊な儀式を修行してきた二郎に、引きこもりを悪魔祓いで治して欲しいとの依頼だ。

なぜ、引きこもりの少年、眞人は引きこもりになってしまったのか?

一方、ある男、五十嵐は何百億もの損害を出した株の誤発注事件を調べていた。

なぜ、このような事件は起きてしまったのか?

そして現れる「孫悟空」。彼は一体何者なのか?

分からないことだらけの物語。そもそも答え、はあるのだろうか?

 

 

と、いう感じ?

正直言ってしまうと、よく分からなくてあらすじもうまくまとめられませんでした( ˘⊖˘) 。。。

解説でも、栗原さんという方が「また妙な小説を書いたものだな」と書いていらっしゃるので、

よく分からない😇と言い切っても恥ずかしくない小説なんだと思います。

伊坂祭りも最後だし、そろそろ伊坂幸太郎について語れるぜ★と思っていたのですが

まだまだのようです。スン。。。( ˘⊖˘) 

 

さて、気を取り直して、気になったところをピックアップしていこうと思います。

二十一世紀の今です。現代のイタリア。年間、数千人が悪魔祓いを求めているそうです。大体、二十年以上前は二十人くらいしかエクソシストがいなかったっていうから激増しているってことですよね。

 

悪魔祓いって、今でもあるものなのですね。なんとなく無意識にお話の中の職業?と思ってました。

日本での悪魔祓いは修験者や陰陽師にあたるようです。

悪魔=物の怪、なのかな。得体の知れないものにも和風と洋風があると考えると文化の違いって面白いなと思ってみたり笑

 

山田くんが、学校行かなくて、すごく楽しそうなら僕も気にしないけど、そんなに苛々して、顔色も良くないし。

やっぱり、それは今のままじゃ良くないってことじゃないの?

行かなくてもいいならもっと、楽しい毎日を送りなよ。

 

主人公の一人、二郎が中学生の頃に不登校の同級生に、別に学校には行きたくないなら、行かなくていいんじゃないの、

と声をかけた時のセリフです。

私も、そう思いますね。

まぁ、やっぱり学校には行けるなら行った方がいいんだと思います。

なぜなら、行かないことで、これでいいのだろうか、と不安になるのがめんどくさいからです。

人生よっぽどのことがない限り自分で食っていけるようになるまではレールに乗っているのが楽チンです。

例えばアイドルになったり、スポーツ選手になったり、そういう「学校生活じゃ伸ばせないスキル」が必要な場合は

無理して学校に行く必要はないですが、

大学進学が必要な職業につくんだったらとりあえず行くだけ行くに越したことはないですよね。

毎日学校が楽しくなくてもとりあえず行って帰ってくればいい。

土日や夏季休暇を楽しみになんとかやり過ごしていけばいい。

いじめとか、学校に敵がいる場合は別として、なんとく行きたくないな、程度ならなんとなく行ったらいい。

ただ、上記のセリフの通り、毎日毎日学校に行かずに楽しく過ごしているなら、それもまた人生。

未来の自分に頑張ってもらえばいい。

いつかは頑張らないといけない時がきます。

ちなみに私はあとで頑張るのがめんどくさいので早めに頑張るタイプです。老後に期待大☺️

 

 

●失敗した時、やってはいけないことをした時に人は、「恥ずかしい」と感じます。

そういう感情が人として、どうして必要だったのか、どうして根付いたのか、疑問だったんです。

 

た、確かに。この感情はひどく邪魔ですよね。

恥ずかしいと思うからこそ、隠そうとして、誰かが気づいた時には手遅れなこともたくさんありますよね。

ただえさえ悪いことが起こっているのに、悪循環。

自分のミスをミスとして認識して、悪いことが起こったなりに、そこから最善の手を尽くすことは難しいけど、

それが人を成長させたりするのでしょうか。

ちなみにここらへんを読んでいた時、私もミスを犯したばっかりだったのでいたたまれなくなりました。

今後はミスしないように気をつけようと思いましたが、ヒューマンエラーってどうしても起こってしまうものだし、

やっぱりそこに「恥ずかしい」の感情は邪魔だなぁ。。。

 

ただ、そもそも、人間の感情全てが何か理由があってできたものなのか、という疑問もありますね。

怒ったり、苛々したり、そういう感情から人間が得られるものはなんなのでしょうか。

スポーツとかだったら、次は負けないぞ!という闘志に変わるのかも知れませんが、

無用な争いを生み出すだけのような気もする。

悲しみはどうでしょうか?

悲しみを乗り越えて、強くなる、という物語は往々にしてあるわけですが

やっぱりできれば悲しい思いなんてしたくないなぁ。

悲しいという感情がなくなった時、人はどうなるのでしょう。

親が死んでも悲しくない、友人との別れを惜しまない。もしかして、人は独りぼっちになってしまうのでしょうか?

感情について、考え出したらなんだか大変なことになりそうですね。

 

すみません、あんなに大変なことをしでかしたくせに、こんな風に、平気な顔をしていて、食事も摂っちゃって。

いえ、自分の失敗に罪悪感は感じているんですよ。

失態に死んでしまいたいくらいの恥ずかしさを感じているんですよ、そんな勇気はないから無理ですけど、

自分が嫌で嫌でしょうがないです、嘘ではないです

 

前述の通りミスを犯したばかりの私にグサグサと刺さりました。

私も以前から決まっていた職場の飲み会に行き普通にお酒を飲んでしまいました。

まじで不思議ですよね。今でも罪悪感は感じるし、気を引き締めなきゃ、と思うんですけど、

この記事を書き終わったあと、アイスを食べる予感がします。

 

●それでいいんですよ。いつまでもくよくよしていればいいんですよ。天竺に行ったところで、くよくよは続きます。

 

人が困っているところにどうして首を突っ込んでしまう主人公。

首を突っ込んでも結局どうすることもできない無力さに押しつぶされそうになります。

そんな彼に何者かがささやくのです。不惑じゃないんだから、と。

 

人が困っているのを助けようとして、でも何にもできなくて、思い悩むことのできる主人公。

世の中こんな人ばっかりだったら平和なのにね。

 

ちなみに、私は「悩む」というのも一つの才能だと思っています。

このブログをよく読んでくださっている方は気付いていたかも知れませんが、

私は悩むのが非常に苦手です。めんどくさいからです。

数学の問題も行き詰まったら眠くなるし、進路も消去法。選択肢はバッサバッサと消し去り一つに絞る。

一つに絞れなかったらサイコロかあみだくじ、そして安心と信頼の直感。

 

ただ、たまに考えることがあります。

もっと悩んでいたら、あの数学の問題は答えに自力で辿り着けたのかも知れないし、

もしかしたら今の職業にはついていなかったんじゃないかな、って。

別に数学の問題が解けなくって死にゃしないし、悩んだ結果今の職業を選ぶ可能性もあるけど。

なので、くよくよしたり、悩んだりしたりしている人がたまに羨ましいこともあります。

え?まだまだ人生、選択を迫られる場面がたくさんあるって???

うーん。悩むことはこの先あるのでしょうか。悩む人生については、、、、来世に期待大☺️

 

 

ほい、まだまだ付箋を貼っているところはあるのですが、こんなところで。

全体的につかみどころがないし、突然の孫悟空に戸惑いましたが、考えさせられるところはいっぱいありました。

個人的にいつか再読したい課題本という感じです。

 

ちなみにこの小説はSARUという漫画と対になるものなんだそうです。

これは読んでみたら理解が深まるのでしょうか??読まないとですね?Kindleにあるかな??

 

ということで、1ヶ月間、伊坂作品だけ10作品を読む個人的なイベントが終了しました!

期間を決めていなかったので、もっと長くかかるのかと思いましたが、1ヶ月で10か。。。

もしかしてめちゃくちゃ読んだのでは?

後日改めて振り返りの記事をかければと思っています。

 

それではこれにて☺️