最後の医者は雨上がりの空に君を願う
こんばんは〜まりあです!
世の中は風邪か流行っていて大変ですねぇ。
さて、今回はコチラ、二宮敦人 著、
「最後の医者は雨上がりの空に君を願う」です。
ざっくり言ったしまうと、3人の登場人物が死ぬ物語です。
第1章はとあるチャラ男の死
第2章とある母親の死
第3章とある医者の死
主人公の医者、桐子のスタンスは患者の意思を尊重するというもの。基本的には患者が望まなければ治療も延命措置も行わない、というスタンス。もちろん逆に治療を希望すれば全力で治療します。
一方、桐子の同期である福原という医者は目の前の患者は最後までできる治療はするべき!一緒に諦めずがんばりましょう!というタイプ。
この2人が、とある登場人物の死について向き合うお話、というわけです。
先に感想を言ってしまえば、
まず一つ、感動モノです。帯にもいっぱい書いてありましたが、泣ける。電車やカフェで読まない方がいいタイプですね。
しかし!感動ものでーす!めっちゃ泣いたわ〜!で終わるのはもったいない!
と私は思いました。
なんだか一つ前の記事から死に向き合うことに関してうるさい感じがしますが、でも、人は誰でも死にますので。。。 大切な家族がいる人、そして普段人の死や病気について考える機会が少ない人には是非一度読んでもらいたいです。
どういうところがオススメポイントかと言いますと、
病気についてまずは正しい認識をできるようになる!というところ。
例えば感染症、AIDSという病気ですが、発症すると怖い!死ぬ!と思っている方々も多いですよね。
第1章ではHIVに感染してしまった男女がメインのお話です。当初2人は感染したことで「もう自分は死んでしまうんだ!」と絶望します。
男の方は病気に向き合うことの恐ろしさから病院に行かず、周囲の知識のない人たちの言葉でさらに不安になったり、仕事を辞めさせられたりとさらに死に向かう一方で、結局AIDSを発症してからも放置して亡くなります。
しかし、同様にHIVに感染したことが発覚してすぐに医療機関を受診した女性は助かります。
初めは死ぬのだ!本当は子どもが欲しかったのに、母親になれずに私は死ぬのだ!と絶望していましたが、正しい知識を得て、正しい治療を受けることができました。
ウイルスに感染していても、AIDSを発症したわけではないこと、ウイルスに対抗する治療薬があること、そしてウイルス量が減れば他者への感染リスクはなく、子どもを作ることができること。
正しい知識を得て希望を取り戻し、熱心に治療し、理解のあるパートナーを得られそうな雰囲気。
第1章では、チャラ男の死をメインに死へ向かう人の心情の描写もリアリティがあるなぁと感心させられますが、
「正しい知識を得て正しい治療を受けられた人」と「間違った知識のまま治療を受けられなかった人」の対比が大変秀逸です。何が言いたいかと言いますと
病気と戦うためにまず必要なことは正しい知識だ!ということです。
それがよくわかるお話です。
医療に関係ない人達にめちゃくちゃ読んでほしい。
例えば癌になって、標準治療ではなく民間療法に頼ってしまう人達も、血液クレンジングに踊らされる人たちも。
言ってしまえば今流行ってる風邪もそうですよね。
その情報、正しいですか??
「◯◯らしい」程度の話をする人の話は信用できません。中国で流行ったばかりの頃、どんどんと情報を流していた人たちは知識があるからペラペラと喋っていたわけではなく「◯◯らしい」とどこかで聞いて、その程度の知識でものを語る人達です。
逆に良識のある専門家達はわかっていないことをわかっていないと認めて、口を閉ざしていただけ。(私は感染症に詳しくないし良識もないですがよくわからんし興味なかったから上司への不満ばかり垂れ流していました!笑)
なんだか長くなりましたが、第1章は、
正しい知識を手に入れられれば救われることもあるよ!正しい知識を得られないと不幸な結末にたどり着くこともあるよ!ということがよくわかる内容でした。
ほかの2人については正しい知識と言うよりは、やはり本題である死に向き合うことに関して学が多い内容になっています。第2章は死向かうにあたり、どう気持ちに折り合いをつけるか。病気をどう受け入れるか。
第3章は認知症になり弱っていく父親と息子のお話ですが、これはちょっと環境が特殊なものの、認知症の患者さんの気持ち、そしてその家族の気持ちについて考えることができます。第3章は第2章の伏線も回収しつつ、物語の山場であり泣けます。
さてさて、医療系の感動物語としてだけではない!という魅力が伝わったでしょうか??
是非いろんな人に読んでもらいたいなぁと思った一冊でした!